私は、中学一年生の二学期に愛知のとある中学校に東京から転入しました。
東京よりもかなり田舎で、周りには畑ばかりの学校でした。
最初の学校を訪れた時に、当時の校長先生に挨拶をしました。その時に言われた一言。
「この学校はテニスコートが六面あるから、よかったらソフトテニス部に入ってみたらどうかな?」
といきなり部活へのお誘いでした。
私は当時、小学生から硬式テニスをしていたのもあり
躊躇していたのもありましたがテニスが出来るならいいか。と思い、すぐに入部いたしました。
初日、先輩を含め部員に挨拶をして早速コートで練習しました。
先輩や同級生のメンバーからは
「あいつ上手くないか?すぐにレギュラーだろ。」
と、周りからは少し一歩引かれた目で見られました。
そして数週間でレギュラーの座に就くことになりました。その時には、すでに周りからは冷めた顔をされました。レギュラーの座を取ったとしても基本的にはいつも先輩メインで試合に出ていたので中々出場機会はありませんでした。
そして翌年の夏、先輩達最後の大会では地区大会優勝という大きな功績を残して引退しました。
その数週間後、僕たちの代が主で部活が始まりました。
僕は副部長になり部長のサポートにまわりました。
でも、先輩が引退がしてからのチームがとても雰囲気が良かったのです。
勝つために、毎日筋トレや練習を怠らず日々鍛錬しました。
そして、僕と部長でペアになり一番手になりました。
試合の時は負けることがほとんどなかったのが記憶にも残っています。
大会に出るたびに賞状をもらっていたのもいい思い出の一つです。
そして三年生になり、迎えた最後の夏の大会。
この大会にはいつもと懸ける思いが違いました。
先輩達が優勝した大会。なんとしても連覇したい。
そんな気持ちがありました。
試合を迎える前、部員だけのミーティングをしました。
私は、このミーティングで泣きそうになったのを今でも鮮明に覚えています。
ある部員の一人に、
「お前と学校一緒で良かった。絶対に相手にしたくないやつだからな」
私は、あれだけ冷ややかな目をされていたのに、その一言でチームの士気は一気に上がりました。
迎えた大会では二回戦、準々決勝と着々と勝ち進み準決勝では強豪と当たりました。
一番手の私はなんとか勝ちきりました。
続く二番手は惜しくも負けてしまい、勝負は三番手までもつれる展開でした。
結果は奇しくも負けてしまいました。
私はむしろこの相手には勝てないと勝手に思っていました。でも、
「チームで戦っている。勝負して負けたんだから仕方ない。」
そう思いました。
でも三位に入賞できたので嬉しい気持ちでした。
大会が終わり、片付けをしている時に三番手の負けたペアから
「上の大会に行けなくてごめんな。本当にごめん。」
と泣きながら謝ってきました。
僕は気にせず、その場は「大丈夫」と返しました。
帰り道、当時付き合っていた同じ部活の女の子と一緒に帰り、その時に彼女の前で大泣きをしました。
こんなにもチームから信頼されて、私の目の前で悔しくて謝られて、私もチームに何もしてあげれなかった。
でもこのチームだったからこそいい仲間と出会えることができた。
そんな仲間とは今でも連絡を取り合う大切な友人となりました。銀座カラー vio 痛み
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